つつじ野連載 2022年8月6日〜9月24日

「はじまり」 第1回:8月6日

 写真を始めるきっかけになったのは、高校生の時はまっていたあるドラマのワンシーンだ。登場人物の中学生が、赤く染まった暗い部屋の中で、バットに入った液に印画紙と言われるそれをつけた瞬間、徐々に画(え)が浮かび上がる光景に惹きつけられた。その後間もなく写真部に入部した。

 しかし、入部したはいいが自分のカメラを持っていないことに気付いた。欲しい一眼レフがあったが、購入するまでにはだいぶ時間がかかりそうだ。そんな時、朗報が舞い込む。次の試験でクラスの5番以内に入ったら父がカメラを買ってくれるというのだ。世界では歴史上さまざまな条約が結ばれているが、小さな田舎町の小さな家では、私の人生を大きく動かす歴史的条約がその夜、締結されたのだった。

 当時の私は、テスト期間中でも遠出して興味がある美術展に行ったり、試験勉強よりも家族とのマージャンを優先したりするような生徒だった。でも、その時ばかりは勉強した。そして見事5番以内に入り、カメラを手に入れることができた。このマイカメラのおかげで、撮ることの楽しさを覚えていく。

 先日、突然父からDVDが送られてきた。そこには、かつての家族の風景が映っていた。父は昔からビデオカメラが好きで、どこへ行くにも持ち歩いていた。私が小学校高学年の頃、家族旅行で野辺山へ行った時、そんな父のビデオカメラを借りて初めて撮影した。父に上手だと褒められた。すごくうれしかった。

 例のDVDの中には、その時の野辺山の映像があった。他にも、机の上の鉛筆立てや庭の雑草、相撲を見ている祖父、リリー(祖父の愛犬)を撮ったなんでもない日常の風景があった。家族旅行の後、カメラにすっかりはまったのだろう。私に撮ることの楽しさを初めて教えてくれたのは父だった。

「おにぎりが好き」 第2回:8月13日

 私はおにぎりが好きだ。中学生の頃は部活の後に、母の握ったおにぎりを10個ぐらいぺろりと食べていた。その頃から今でも、温かいごはんで握った塩おにぎりに味のりを巻いたシンプルなおにぎりが一番好きだ。

 おにぎりは食べ物としてだけでなく、その見た目も好きだ。それどころか「おにぎり」という文字も美しく見える。こんな調子で、ついつい、いつもおにぎりグッズを見ると購入してしまう。私のおにぎり好きも周りに随分浸透してきているらしく、おにぎりグッズをいろんな方から頂いたり、おにぎりグッズ情報を教えてもらったりしている。

 でも、なんでこんなにおにぎりに引かれるのだろう…。

 私の生まれ育った香川にはおにぎりのような形の山がたくさんある。平地に突然ぽこっと現れる小ちゃくて丸っこいおにぎり山。それは、まるで「まんが日本昔ばなし」に出てくるような風景だ。「まんが日本昔ばなし」の演出・作画・美術を担当していた童絵作家の池原昭治さんは高松市出身だそうだ。それを知ったとき、「まんが日本昔ばなし」に出てくるおにぎり山は、池原さんが見てきた香川の風景が描かれていたのかもしれないと思った。長野で日本アルプスを初めて見たときは格の違いをまざまざと見せつけられたこともあったが、香川を離れて暮らすようになり、余計に帰った際はおにぎり山の景色に癒やされている。

 私のおにぎり好きは、成長期の体に大量に吸収したおにぎりと、おにぎり山の原風景でできあがったものかもしれない。そして、もちろん讃岐うどんも好きだ。香川にもし行く機会があれば、ぜひおにぎり山を見ながら讃岐うどんとおにぎりを食べていただきたい。

「街の灯」 第3回:8月20日

 8月5日、石巻市中央1丁目に「シアターキネマティカ」という場所がオープンした(現在本格オープンに向けて作業中)。家族とその相棒たちが運営しているため、私も割と近くでその様子を見てきた。オープン一週間前からは特に大変で、連日夜中や朝方までの作業をしてもオープンできるかできないかの瀬戸際だった。そんな中、毎日多くの人が手伝いに来てくれたり、差し入れを持って来てくれたりした。夜中に差し入れでもらったピザのおいしさが身に染みた。そして、前日の4日に保健所と消防の許可が下り、どうにか無事オープンできた。

 オープニングセレモニーでは、この場所ができるきっかけやオープンまでの過程が映像で流された。当初は5分ぐらいの映像の予定だったらしいが、今まで支援してくださった方々の名前を入れたエンドロールを作ったら23分の映像になったらしい。それを聞いたとき「え?」と思ったけれど、実際見てみるとそのエンドロールの長さに胸がじいんとなった。本当に多くの人に支えられてできた場所だと感じた。

 彼らには8月5日のオープンにこだわった理由があった。シアターキネマティカの隣には「日活パール」という劇場があった。東日本大震災で被災するも、館主の清野太兵衛さんの「映画の灯は消さない」という思いでわずか3カ月で再開した劇場だ。2017年6月に惜しくも閉館し、同年8月5日に清野さんが90歳で亡くなられた。文化通りの街の灯(ひ)だったネオン看板が撤去されようとしたとき、これだけは残さなくてはいけないと強く思い、看板を引き取らせていただいたそうだ。

 清野さんの5回目の命日にあたる2022年8月5日、日活パールのネオン看板はシアターキネマティカのステージの上にあった。その日の夜、文化通りに新たな街の灯がともった。

「つづき」 第4回:8月27日

 本格オープンに向けて作業が進められているシアターキネマティカでは、11、12の両日にカフェのメインの壁を塗る作業が行われた。街のみんなで塗った壁はあっという間にかわいいピンク色の壁になった(通称「みんなの壁」)。

 みんなの壁が塗装されている頃、その壁の裏にある外壁には、ブラジル在住の双子の兄弟アーティスト「オスジェメオス」による壁画の絵(リボーンアート・フェスティバル2022の作品)が描かれていた。一つの壁を挟んで街のみんなとアーティストがシアターキネマティカを彩っていた。

 シアターキネマティカでは、せっかくブラジルから石巻に来てくれたのだから何かおもてなしをしたいと思い、18日の夜、「オス!ジェメオスの夏祭り」と題されたお振る舞いが行われた。そうめん、たこ焼き、おにぎり、かっぱ巻き、かんぴょう巻き、日本酒、スイカ、枝豆、トウモロコシ、かき氷などが用意され、畳やちょうちんが飾られた。

 オスジェメオスの2人には甚平で、パートナーの方たちには浴衣で花火を堪能してもらい、こってこての和が存分に振る舞われた。甚平を着て麦わら帽子をかぶってそうめんをすする彼らは、もはやただのおじさんに見えた。それが何だかうれしかった。そして、オスジェメオスチームもこの日の夜を楽しんでくれたようだった。

 その後、チームは日本の裏側にあるブラジルへと帰っていった。彼らの描いた壁画にはツツジに包まれた女性が描かれており、女性の両肩には街灯が付いている。石巻市の花であるツツジの語源には「続き」という説があるらしく、石巻に恵みをもたらすイメージで作られた作品のようだ。ブラジルは地球の裏側だから距離も遠く、もう会うことはできないかもしれないが、そこには何か続きがあるような気がした。

「リズムにのって」 第5回:9月3日

 つつじ野の原稿に高校野球のことを書こうとしているが、700文字にまとめるのは難しそうだ…。原稿の締め切りや、撮影した写真の作業もあるというのに、昨日「東京高円寺阿波おどり」のニュースを見たのがきっかけで、今朝からユーチューブで阿波踊りの動画ばかり見てしまっていた。そう、私は夏休みの宿題を夏休みの最後の最後に追い詰められながらやるタイプの人間だ(追い詰めているのは自分自身なのだが)。

 一年に一度この季節になると阿波踊りが踊りたくなって、こっそり家で踊ってみるのだけど、一向に踊れないままだ。鏡に映る自分の姿が情けないようなおかしいようなである。びっくりするくらいリズム感がないのだ。運動会で踊るダンスも大の苦手だった。

 私は石巻に移住する前、東京に14年間いて、高円寺には4年間住んでいた。年中いろんな催事があったが、高円寺阿波おどりが一番好きだった。すぐにお気に入りの連(チームのようなもの)ができて、追っかけていたが、そのうち連に入ってみたいと思うようになった。ただ、入りたかった連は年齢制限でだめだった。他の連に入ろうかとも考えたけど結局やめた。今思えば入らなくて正解だったと思う。こんなにリズム感のない人が入ってもきっと迷惑をかけただけだろう。

 仙台市と徳島市は観光姉妹都市で、七夕まつりと阿波おどりなどを通じて交流があるという。そして、仙台に「やっと連」という連があることを知った。今は宮城県内で唯一の連だが、もっと増えていってほしい。なんなら2つ目の連は石巻でつくりたい。そしていつか、石巻川開き祭りで披露するのだ。連の名前は「リズムにの連」かな。リズムに乗れない人、大歓迎。

「こけしとわたし」 第6回:9月10日

 私が石巻に移住したきっかけは、こけしだった。5年前の夏、職場の人に誘われ仕事終わりに東京・目黒で開催されていた「和のあかり展」を見に行った。その展示の中に、今まで見たこともないような奇抜なこけしがいて、目を奪われた。それが「石巻こけし」だった。この出合いがきっかけで、私は石巻こけしを作っているTree Tree Ishinomakiで2018年から1年間ブランドマネージャーとして働くことになった。ある方からは「こけしちゃん」と呼ばれるまでになった。

 石巻こけしを知ってから他のこけしにも興味を持つようになった。毎年鳴子で行われる「全国こけし祭り」。その中で、人間が入る大きさの「張りぼてこけし」が練り歩く、なんとも魅力的なパレードが行われているのだが、まだ立ち会えずにいた。

 2022年9月3日、曇りときどき雨…。雨が降ればパレードは中止。1時間前、いてもたってもいられず事務局に電話すると開催するとのこと。やったぁ! 願いがかなった! 雨の中鳴子に向かう道中、神社で引いた中吉のおみくじが功を奏した。

 午後6時20分。辺りは暗くなり、人が集まりだした。隣ではこけし祭りを見に来た観客のおじさんと警察官のおじさんが意気投合している。私も位置につき準備は万端。いよいよパレードが始まる。

 …きたー! なんとも癖になりそうな音頭に合わせて、2~3メートルの張りぼてこけしがゆっくり近づいてくる。こけしたちはおのおの張りぼてから飛び出した腕で手を振ったり、音頭をとったりしている。こけしたちがいとおしい顔でこちらをまっすぐ見てくる。多幸感あふれる観客。なんだこの夢のような世界は。

 来年はあの張りぼての中に入ろう。それが、石巻こけしのデザインだとなおいい。「こけしちゃん」が本当のこけしになる日も近い。

「めぐる」 第7回:9月17日

 実家が昔喫茶店をやっていて、小学生の頃から私も手伝いをしていた。初めて来るお客さんにお水を出して、メニューを聞くときの緊張感を今でも思い出すことができる。常連さんと楽しそうに話す母、コーヒーの豆をひくときの香り、母に作り方を教えてもらった鉄板ナポリタン、憧れのクリームソーダ、大好きなバナナジュース、謎の高級感と銀紙に包まれた名前も知らないチョコレート。毎週楽しみにしていた少年ジャンプ。部活終わりに食べる大量のおにぎりは大事な思い出となった。

 日曜日の朝はじいちゃんと、善通寺市にある喫茶店のモーニング巡りをするのがルーティンだった。背伸びして飲んだコーヒーはいつも苦かったけれど、この時間が本当に好きだった。その影響もあるのか、喫茶店やカフェが好きになった。

 石巻に来て「加非館」という喫茶店と出合った。落ち着いた雰囲気の店内には、大きな窓から明るい光が差し込む。マスターがホットケーキを焼き、奥さんがカウンターにいる常連さんたちと楽しそうに話している。コーヒーのいい香りがする。懐かしい光景のように思えた。すぐに私の大好きな場所になり、時々お手伝いもしている。

 そんな私は今、シアターキネマティカのカフェ「City Lihts(街の灯)」オープンに向けて、奔走している。メニューを考えたり、食器を集めたり。以前渡波にあったとあるカフェから頂いた椅子。これを、みち草工房さん×月日工作舎さんの協力のもとワークショップでリメーク。みんなのおかげですてきな椅子も完成した。一脚一脚、色味や座面の生地が違うのもなんだか石巻らしい。来てくれた人にはぜひお気に入りの「マイ椅子」を見つけてほしい。

 喫茶店やカフェはきっと誰かにとっての特別な居場所で、「City Lihts」もそんな場所になれたらいいなと思っている。

「今日も今日とて」 第8回:9月24日

 ちょうど1年前の今ごろ。9月13日。石ノ森萬画館は黄色にライトアップされていた。リボーンアート・フェスティバルの高橋匡太さんの作品で、期間中毎日「今会いたい大切なあなた」に向けたメッセージと、その相手に届けたい色を石ノ森萬画館に1日1色ずつ投影するというものだ。今はもう会うことのできない人、コロナ禍でなかなか会えない友人、お世話になった人、これから生まれてくる子へのメッセージなど、毎日誰かの思いにタイトルが付けられ、さまざまな色と共に届けられた。私の贈った色は黄色。「レモンの家族」という題で、こんなメッセージを贈った。

 『コロナ禍でなかなか帰省できない中、母が父と育てている庭の野菜や果物の写真を毎日のように送ってくれます。トマト、キュウリ、ナス、アスパラ、カボチャ、ピーマン、ネギ、シソ、大根、ショウガ、ユズ、スダチ、サクランボ、ミカン、キウイ、スイカ、ビワ、柿、ブドウ、桃、レモン。「こんなに植える場所あったっけ?」って母に聞いたら「父ちゃんが勝手に兄ちゃん家の庭にレモン植えたんで」って返ってきて、なんだかおかしくなりました。この前送ってきた写真のレモンの実はまだ緑色でした。今度わたしが実家に帰るときは、何色のレモンがなっているのか楽しみです。なかなか会えない両親に二人が育てているレモンの色を石巻から届けたいです』

 今年のお正月、2年半ぶりに帰省した。レモンの木には黄色い実がたくさん付いていた。その木の前で記念に両親と夫の写真を撮った。なっていたレモンの実は夫の石巻の実家へ。お土産に渡すと喜んでくれた。

 今日も母から家で採れた野菜の写真が送られてきた。相変わらずたくさんの野菜や果物が実っているようだ。そして、石巻の実家には善通寺の実家に負けないくらいたくさんの植物が咲いている。

 

 今日も今日とて何でもなくて大切な1日が始まる。